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戦国時代の
武将たち
織田信長
(1534-1582)
古い価値観を破壊し、新しい時代を切り開いた日本を代表する戦国武将。幼少の頃は「大うつけ(馬鹿者)」と呼ばれていたが、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ってからは、領土を拡大し天下取りをめざした。しかし、本能寺の変で明智光秀の裏切りにあい自刃。その志は、豊臣秀吉に受け継がれた。
安土城/愛西市・稲沢市・名古屋市中区
豊臣秀吉
(1537–1598)
織田信長の本能寺の変で倒れた後、信長の志を受け継いだ豊臣秀吉。貧農の子として生まれ、元々は木下藤吉郎と名乗っていたが、出世をするにつれ、羽紫、豊臣と姓を改めた。あだ名は「猿」や「はげネズミ」又は、官位から「筑前」とも呼ばれた。信長に可愛がられ農民から天下人へと大出世した。戦国一の出世頭。
大坂城/名古屋市中村区
徳川家康
(1543-1616)
豊臣秀吉の死後、「関ヶ原の戦い」で天下を掌握した。1542年、三河岡崎城主松平広忠の嫡子として誕生。幼い頃から織田、今川家の人質として苦難の道を歩いた。戦国武将として独立してからも、信長、秀吉に従うなど、様々な試練をひたすら「忍」の一念で耐え抜き、ついに戦国の世を泰平に導き、260余年にも及ぶ江戸幕府の礎を築いた。
江戸城/岡崎市
加藤清正
(1562-1611)
尾張を代表する武将。軍神(清正公)として各地で祀られているほど人気がある。秀吉の母・なかの親戚として、小さい頃から秀吉・おねに育てられた。賤ヶ岳の戦いでは「七人槍の一人」に数えられるほど功績をあげた。
熊本城主/名古屋市中村区
福島正則
(1561-1624)
秀吉の親戚筋。清正同様、幼少時から秀吉に仕えた子飼いの臣下。「賤ヶ岳の七人槍」の代表として、清正以上に武勇を誇った。名古屋城の石垣普請や堀川の造成など、名古屋開府に大きな功績を残した。
広島城主/あま市
前田利家
(1538-1599)
小姓として「うつけ」時代から信長に仕えた。数々の武勲をたて、信長の命により、四男でありながら家督を継ぐ。豊臣政権では大老。江戸期、加賀藩の祖となる。金沢市尾張町と荒子町は、今でも交流を続けている。
加賀藩初代藩主/名古屋市中川区荒子町
その他の主な武将
【尾張藩士】
- 柴田 勝家(名古屋市名東区\北の圧城主)
- 増田 長盛(稲沢市増田南町\群山城主)
- 長束 正家(稲沢市長束町\水口城主)
- 丹羽 長秀(名古屋市西区\白河城主)
- 佐々 成政(名古屋市西区\富山城主)
- 佐久間 盛政(名古屋市昭和区\金沢城主)
- 池田 輝政(名古屋市中川区小城\姫路城主)
- 生駒 親正(江南市小折町\高松城主)
- 浅野 長政(一宮市浅野公園\甲府城主)
- 堀尾 吉晴(大口町堀尾跡公園\松江城主)
- 溝口 秀勝(稲沢市西溝口町\新発田城主)
- 蜂須賀 正勝(あま市\子・家政が徳島藩初代藩主)
- 山内 一豊(一宮市木曽川町・岩倉市\土佐藩初代藩主)
【三河武士】
- 酒井 忠次(岡崎市井田町\吉田城主)
- 平岩 親吉(幸田町\尾張藩家老)
- 大久保 彦左衛門(岡崎市上和田町\旗本)
- 本多 忠勝(岡崎市西蔵前町\桑名城主)
- 鳥居 忠吉(岡崎市渡町\矢作城主)
- 加藤 嘉明(西尾市上永良町\松山城主)
- 榊原 康政(豊田市上郷町\館林城主)
- 山本 勘助(豊川市牛保町・豊川市賀茂町\武田軍軍師)
- 大久保 忠世(岡崎市上和田町\小田原城主)