Mission.03
秀吉殿の出生地で勝利の馬印を見つけよ
愛知県は「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の戦国三英傑をはじめ、多くの名武将たちを輩出する「武将のふるさと」。このコーナーは「徳川家康と服部半蔵忍者隊」のくのいち「水蓮」が、半蔵の命を受けて、愛知に潜む歴史の謎に迫ります。
元来の陽気さゆえに、途中で指令を忘れ、旅に夢中になってしまうのが玉にキズですが、さても水蓮の愛知・珍道中、はじまり、はじまり~!
【狂言語りの水蓮:すいれん】
傀儡の術に長け、流ちょうに言葉を操り、人から情報を聞き出す。子どもが大好きで、おしゃべりやお絵かきで、ちびっ子たちと仲良くなるのが楽しみ。
ここは名古屋駅からほど近い、中村公園。
「今回、半蔵様からは、太閤様(豊臣秀吉公)の出生地にあるという、勝利の馬印を見つけてくるように言われておるが…」
と、きょろきょろとあたりを見回す水蓮。
「うぐっ、なんじゃあの鳥居は!」
街中にある巨大な赤い鳥居を見上げます。それもそのはず、この鳥居は大正10年に作られたもの。水蓮もかつて見たことのない大きさです。
「なんと当時は日本一の高さ(24m)だったとな…。さすが太閤様の出生地に住まう者たちは、普通じゃ満足せんとみえる」。
◆大鳥居
大鳥居から参道を歩いていると、そそと耳打ちする者が。
「水蓮どの。こちらには“くのいち”が…」
「なにっ!?くのいちがここに潜んでおるのか?」
「いえ、9のつく日に“くのいち(九の市)”がたつのでござりまする」
9、19、29日には、大鳥居から豊国神社までの中村参道緑道沿いに、野菜や鮮魚、生花、履物、骨董品などの店がずらりと並び、下町情緒のあふれる朝市の様子が見られます。
「賑わいのある町はよいものじゃ。平和であるということだからな」
2つめの鳥居は少し小ぶり。豊臣秀吉公が用いていた「桐紋」があしらわれています。
「家康様も御自分の家紋に権威を持たせるために、葵紋の使用を徳川将軍家および徳川御三家に限るといった施策を行っておられるし、当時より家紋は権威の象徴として重要であったのであろうな」
◆豊国神社
そのまま太鼓橋を渡ると正面には豊国神社が。さらに小さな3つめの鳥居をくぐります。ここで水蓮、「まち歩きカード」というものをもらいました。「豊国神社とその近辺」と書かれたカードには、明治43年ごろの豊国神社の写真が。
「なんと…これが天下人、太閤様をお祀りする神社かと思うと…ちと寂しいような」
秀吉公没後、江戸時代に入り、秀吉公を神として祀る豊国信仰は禁止に。この豊国神社は、明治維新以後、その禁が解けたため、出生地とみられる場所の隣に創建されたものです。
ここはひょうたんが絵馬になっています。
「なに!?縁結び、だと…!私めもひとつ書いておかねば…」
秀吉公はこの当時では珍しく恋愛結婚をしたということで縁結びの神様ともされているとか。その他、立身出世の象徴であることから仕事運や合格運などにご利益があるということで、どの絵馬にもぎっしりと願い事が書かれています。
◆豊公誕生地之碑
秀吉公のご利益にあやかりたい水蓮、パワーを分けてもらおうと俄然やる気がわいてきました。
「ここが太閤様のお生まれになった場所か」
と手を合わせようとした時、何者かがささやきます。
「実はですね、このあたりだと思われておりますが、貧しい農家の出であった秀吉様には幼少期を記す確実なものはないのでございます」
「それでも、まわりはきっと田んぼや畑、竹藪もある田舎の風景であったのであろう。どこかははっきりせずとも、またそれも、みすてりあすではないか」
◆妙行寺(みょうぎょうじ)
豊臣秀吉公の家臣であった加藤清正公は、1610年、両親や先祖の菩提を弔うため出生の屋敷跡に日蓮宗の妙行寺を再建しました。名古屋城の築城に際して出た普請小屋や、建材の余りを貰い受けて建てられたといわれています。
「やや!長烏帽子兜を着用した武者姿の清正様!りりしいのう~♡」
え・・・まさか!?
◆常泉寺
豊国神社に隣接する常泉寺は、1606年に清正公とその一族が秀吉公の生誕地に創建したと伝えられています。
「徳川の世ですから、表立っては“檀林(お坊さんの学ぶ場所)”として建てたのですよ」
と、ある者の声。水蓮はまわりを見まわしながら
「主君の魂を弔うための寺を清正様は作られたのじゃな。まっこと、忠義な御人じゃ」
とつぶやきます。
こちらの境内にあるのは「豊太閤産湯の井戸」。秀吉公が生まれてはじめてここの湯につかった…と言われています。常泉寺、というだけに常に清水のあふれるような井戸だったそうですが、昭和40年代に一度は枯れてしまいました。しかし、再び源泉が復活!
またこちらにある「御手植えの柊」(秀吉公が11歳の時に植樹したとされる柊)も、幹が衰えてもその度に下枝が育ち、現在は基木から数え五代目になるとか。
秀吉公の強運もさることながら、それを支える後世の人々の想いもひしひしと伝わってきますね。
ここで水蓮、「むすびの輪」という石柱を見つけました。
「これは…なんじゃ?」
石柱の上下部分に回転式の石の輪がつけられていて、双方の石の輪には全く同じ色のテープが貼られています。上部にはハート型の石がついており、縁結びがどれぐらいの確立で成就するのかを占うスロットマシーン的なものであります。
まずは本堂にてお祈りをして、この「むすびの輪」の下の石輪を回します。次に上の輪を回転させ、下の石輪と同じ色が揃えばよしというもの。二つまでの不一致は「あと少し」、三つ以上のずれは「要努力」なのだとか。
「む…さて次に行くかの」
水蓮、あまりよい結果ではなかったようですね。
◆中村公園記念館
加藤清正没300年を記念して、愛知県が明治43年に迎賓館として建築し、当時皇太子だった大正天皇が御休憩された建物。ひょうたん池の北側に、桐蔭(とういん)茶席、豊頌軒(ほうしょうけん)などの茶室があり、桐蔭茶席では茶会を催すことができます(有料)。
◆名古屋市秀吉清正記念館
中村公園文化プラザの2階にある名古屋市秀吉清正記念館。豊臣秀吉公と加藤清正公に関する資料を収集し、展示しています。常設展は、織田信長公が天下統一へ向かったころから、秀吉公の天下統一、大坂の陣で豊臣氏が滅亡するまでを資料をもとに紹介しています。
太閤検地の物差しや刀狩りの条目などを見て
「秀吉様の歩みは現世の子らも学んでおるそうじゃな」
と水蓮、感慨深げ。
「中村公園をぐるりとまわってみたが…ここは後世の者たちがどれだけ秀吉様を大切に思うておるのか、ひしひしと伝わってくるのじゃ。人々が憩う場所にあるから、秀吉様もきっとお喜びになっておるであろうな」
※ちなみにこちらでも「まち歩きカード」が手に入ります(6)。また3階の中村文化小劇場でも16のカードがもらえますよ。マップを手にコレクションするのも楽しいですね。
…で。水蓮、なにかお忘れでは?
「おおっと!馬印じゃ。馬印とは、大将の乗馬の側に立てて、その所在を示す目印としたものだが…」
そこへ助け船、耳元にささやく声が。
「秀吉様は“ひょうたん”であったと言われておりまする」
「おお、かの有名な“千成瓢箪”か。武運ある秀吉様のことじゃ、さぞやじゃらじゃらと吊り下げておったのではないかのう」
「水蓮殿。もしそれが本当のことであったら、戦いどころではございませんぞ(笑)。実際には、黄金色の瓢箪の下に金色の布きれを付けておったとのことでござりまする」
「なるほどのう~。あちこちにあったひょうたん、あれらは伝説の化身であったか」
水蓮も行った先のひょうたんが気になっていた様子です。
「そうでございます。この中村公園内にはいくつものひょうたんが隠れておりまする。これを見つけて歩くのが、楽しみでもござりまするな」
「そうじゃの。しかして、そなたは・・・」
声の主にたずねる水蓮。
「私は、“中村まち歩きマイスターの会”の者でございます。この中村の旅にはぜひとも私めらをお呼びくださりませ」
「では次は、仲間を呼びまするゆえしかと案内を頼みまするぞ!」